毎日、必ず祈る時間をつくっています。
瞑想をするのは忘れても、祈る時間だけはかかしたことがありません。
祈ることが大切だと気づいたのは、4才くらいの頃です。
物心ついたときから、とにかく周りには怖いと感じるものがたくさん存在していたので、自分を守ってもらうために欠かさず自分で作った方法でお祈りをしていました。今考えるとなんてけなげなんだろう…と思ってしまうのですが、たぶん、誰に話しても、言葉で説明してもわかってもらえないものがあるということを知っていた気がします。
それから、カトリック系の幼稚園に通うようになり、毎日お祈りの時間が幼稚園でもあって、どんな風に、誰にお祈りすればいいのか、ということがわかってから救われた気がしました。「天のお父様」に話かけるのがいつの間にか習慣になっていました。お祈りをしても毎晩みる恐ろしい夢はなくなりませんでしたが、それでも自分が守られているのかもしれない・・と子供心に感じていた気がします。
特に寝る前のお祈りは、私には欠かせないものでした。
自分のためから始まり、それと同時にお父さん、お母さん、妹が絶対に死にませんように。ということ。
小さい頃から自分の身近な人たちのことをお祈りするようになり、だんだんとお祈りすることが増えていきました。
記憶の中にあるのは、中学生まで毎日祈っていたこと。
小さい頃から続いていた怖い夢をみなくなり、それからはたぶん精神も安定したのか、それ以上に現実的に忙しくなって祈るどころではなくなったのか、ぱったりとお祈りがなくなった時期がありました。
再び、祈りをかかさなくなったのはやはり自分の内に何かがある、と感じ始めた頃からです。
今は、自分のこと・・というよりも、それ以上に誰かのために祈ることがほとんどです。
でもふと、誰かのための祈りすらも、結局は自分のための祈りなのだろう…ということに気づきました。
人のためのこの祈りをやめたら、結局は自分も何かあきらめたり、手放してしまうことなのかもしれない…。
なんのために、人は祈るのでしょうね。
自分のエゴのためなのか。
それとも愛のためなのか。
世界平和のためなのか。
自分の心をまっさらにして祈ることなかなか難しいものです。
小さい頃のように、純粋な清らかな心を感じて祈るのはなかなか難しく感じるこのごろです。