「天使ってなに?光ってなに?!そんなの存在するわけないじゃない。
私たちが生きてるのは目の前にある現実でしょう。厳しいと思うことはたくさん、苦しい、辛いこともたくさんある。でもたまにちょっと良いことや楽しいこともある。だけどそんなのすぐに泡みたいに消えちゃうし、幸せを感じる暇もない。踊ろうよ♪なんて言うけど、毎日踊って楽しくくらせる訳なんて絶〜対ないね。天使ってなんなの?どこにいる?!光ってなに?本当にいるんだったら、私たちはもっと幸せなはずでしょう〜〜〜?」
こんな私が、やっとはっきりくっきりしたんです。
存在を頭ではわかっていたんだけれど、こんな自分が浮き彫りにされるのは「どうなんだろう…」ってずっと思っていました。
サロンをオープンして、少しずついろんな方に会えるようになって。
例えば、生きていることに絶望を抱いたり、愛を忘れ人に憎しみを抱いてしまったり、大変な人生を歩んできてこころを開けなくなったり、ただひたすら愛がほしいと飢えていたり、みんながみんな幸せな訳では決してないんだと身をもって感じてきました。そんな時の私は、同じように苦しかったり涙がで出てしまったり、こころから辛くなったりしてしまう…。絶望を感じてしまうと神さまって意地悪だ…て思うし、それこそ神も仏もいないのか?!と思う。
だけど、苦しみを感じたり、同情するのは簡単…そこから新しいものはなにも産まれないのもわかっています。
その方と一緒にひたり続ける訳には決していかないと思ってしまうんです。
苦しみの淵からなんとか希望をみいだそうと、愛を感じて頂きたいと、一生懸命に祈ります。どうか苦しみから開放されますように…輝く笑顔が戻りますように…。
たくさんの愛が降り注ぎ、天使たちが応援を送ってくれて、やっぱり私も天使たちと一緒に応援します。
目の前にいる方が癒されていく過程を感じ、私のハートも愛でいっぱいになれば、あぁ…天使や光は存在するんだなぁ…なんて思う。無限の愛をいつでも私たちに送ってくれているのだと思う。
天使は声も形も存在しない、祈らなければ勝手に手出しはしてくれないけれど、いつでも応援体制は万全で、出番を待ってくれている。
でも「天使なんていない!」って思う私は存在し続けます。生きている限り疑うのだろうし、そんな私は闇を映しているように感じます。どっしり厳しい現実を生きてて、毎日楽しく踊って暮らすにはどうすればいいのかなぁ…なんて日々あこがれたりする。
自分が苦しいたびに、苦しむ人をみるたびに、「やっぱりそんなのいない!」と思う。
でも次の瞬間に光に祈る私もいて、癒されるたびに、信じ続けようと誓っています。
そして、私は光と愛の意識を宿した人間に生まれたのかもしれない…と少しずつ受け入れています。
どちらの私も存在していてよかったなぁと思うんです。
光と闇が一つとなりますように…全ての人のこころがひとつとなりますように…
一緒に祈りましょう。